こんにちは、メルくんのパパです。みなさんはその昔、東京が江戸(えど)と呼ばれていたことを知っているかな?
徳川幕府(とくがわばくふ)が続いた江戸時代(1603年〜1867年)には、現在の東京と同じく「江戸」の町が日本の経済の中心でした。そして、そこには今のわたしたちが忘(わす)れかけている「粋(いき)」なくらしや文化がしっかりと根づいていたのです。
今回の特集では、春待ち遠しい"花のお江戸"について、いっしょに勉強(べんきょう)してみましょう!
ウメを愛(め)でる
桜といえば、染井吉野(ソメイヨシノ)
知ってる? 江戸に関することわざ
江戸っ子のくらしぶり
江戸のあそび
江戸の娯楽(ごらく)
☆★梅・うめ・ウメ★☆
いまでも「梅を愛(め)でる」という言葉があるように、江戸の町には梅の名所がいくつもありました。その中でも有名だったのが蒲田(かまた)と亀戸(かめいど)にある梅屋敷(うめやしき)で、有名な浮世絵師(うきよえし)の手による絵もたくさん残っています。
梅は奈良時代(ならじだい)前に中国から伝わり、「縁起物(えんぎもの)」や「クスリ」として一部の人にしか食べることはできませんでした。それが梅干(うめぼし)などの食品として、庶民(しょみん)でも食べられるようになったのは江戸時代からといわれています。また、江戸では大晦日(おおみそか)や節分(せつぶん)の夜、梅干(うめぼし)に熱いお茶を注いだ「福茶(ふくちゃ)」を飲み、正月には、黒豆と梅干のおせち食べる習慣(しゅうかん)があったそうです。
☆★桜・さくら・サクラ★☆
桜といって多くの人が思い浮(う)かべるのはきっと「染井吉野(ソメイヨシノ)」ではないかな。じつは桜には他にもいろいろな品種があります。
このソメイヨシノは江戸時代の末期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込あたり)に集落(しゅうらく)を作っていた植木職人(うえきしょくにん)たちが、「江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)」と「大島桜」という2種類のサクラを掛(か)け合わせたものを「吉野桜(ヨシノザクラ)」として売り出したのが始まりと言われています。葉が出る前にいっせいに咲(さ)きほこるのが評判(ひょうばん)をよんで、全国に広まっていきました。
ことわざの中にも“江戸”というコトバが使われているものがたくさんあるんです。ちょっとむずかしいことわざもあるけど、みんなは知っているかな?
○ 火事と喧嘩は江戸の華(かじとけんかはえどのはな)
これは、江戸っ子の威勢(いせい)の良さを表わした言葉。火消しのはなやかな働きぶりと、江戸っ子のけんかは威勢が良くて江戸の見物(みもの)であるということを指しています。
※火消しとは、江戸時代の消防士(しょうぼうし)のこと。
○ 江戸っ子は五月の鯉(たい)の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし
江戸っ子は口先ではポンポンいいたいことを言うけど腹の中はさっぱりしている、という意味。つまり、口は悪いけど根に持たない性格(せいかく)のことを表しています。みんなの近くにもだれか当てはまる人はいるかな?
○ 江戸っ子は宵越(よいご)しの銭(ぜに)は持たぬ
江戸っ子はお金がはいったら、それをその日のうちに使ってしまうもの、という意味。現代風にいえば、翌日までいくらか残しておこうと考えるのは、セコイ!ということかな。また、江戸は火事が多く、家の戸じまりも悪かったので、うしなう前に使うほうがマシという思いもあったのかもしれませんね。
○ 江戸っ子の初もの食い
負けん気が強く、みえっぱりな江戸っ子は、初ものをいち早く手に入れることが好きでした。初ものとはシーズン最初にとれた食材のことで、たとえば初ガツオとか新そばなどですね。また、初ものを食べると寿命(じゅみょう)が伸びるとも言われていました。
○ 江戸っ子はお風呂(ふろ)好き
江戸っ子はお風呂(ふろ)好きで、「湯屋(ゆうや)」とよばれる銭湯(せんとう)に毎日通ったといいます。なぜなら、ほとんどの町人や商人の家にお風呂はなかったからです。湯屋は江戸時代のはじめは混浴(こんよく)でしたが、やがて男湯、女湯の区別がつくようになりました。入浴後は二階の広間に上がり、そこで休息しながらおしゃべりしたり、囲碁・将棋(いご・しょうぎ)などを楽しみました。ちなみに今の銭湯とくらべると、浴室はとてもせまくて暗く、湯もかなり熱かったとのことです。
○ うずまき型につくられた江戸の町
江戸の町は「の」の字のように、うずまき型に作られていました。これは人口の増加に対応しやすいように、「外堀(そとぼり)」、「内堀(うちぼり)」という生活用水を引くためのお堀(ほり)をうずまき型に設計したためです。また、江戸は海を埋(う)め立てて町を広げたために井戸水が使えなかったので、多摩川(たまがわ)などの遠くの水源(すいげん)から水を引いて水道を作っていました。このように整備された水の都をつくったことが、江戸の人口増加を支えていたのですね。しかも、江戸では水と河川を守るためにトイレから河川へのタレ流しを禁止するなど、とても清潔(せいけつ)な環境(かんきょう)だったのです。 江戸時代にもちゃんとエコを取り入れていたなんて、ビックリですね。
○ 江戸はリサイクル社会
江戸の人口は100万をこえていましたが、ゴミの少ない世界でもっとも美しい都市と言われていました。それは江戸の人々がモノを大切にし、いろいろな工夫(くふう)をして、むだなゴミを出さないくらしをしていたからです。つまり、江戸ではモノが捨(す)てられることなくグルグルと社会をめぐっていたのです。こうしたモノがまわっていく生活のことを循環型社会(じゅんかんがた・しゃかい)といい、じつは今の私たちが理想(りそう)とする社会なのです。みなさんも、江戸時代の人々に負けないよう、「今あるもの」をできるだけ大切に使うように努力したいですね。
○ 隅田川(すみだがわ)の「花火」
江戸の町を流れる隅田川(すみだがわ)に両国橋(りょうごくばし)という立派な橋ができると、川岸には夜店が立ち並(なら)び、舟遊(ふなあそ)びする人たちが集まるようになりました。夏には「川開き」を告げる花火がいくつも打ち上げられ、涼(りょう)を求める見物客であふれたそうです。そう、いまでも隅田川の花火大会は有名ですね。
こうした江戸の花火を発展(はってん)させたのが、「鍵屋(かぎや)」「玉屋(たまや)」の二大花火師であったといいます。花火が上がるときに「たまや〜」「かぎや〜」と掛(か)け声をかけるのはここからきているのですね。特に人気が高かったのは「玉屋」で、現在わたしたちが見ることのできる浮世絵(うきよえ)の花火のほとんどは玉屋の花火を描(えが)いたものです。しかしそんな玉屋も、ある年火事を起こして江戸から追放されてしまったそうです。
※両国橋を造った理由は、1657年(明暦3年)の「明暦の大火」(めいれきのたいか)の際に、橋がないために多くの人々が逃(に)げ場を失ったことがきっかけになりました。すなわち、交通というよりも防災(ぼうさい)を考えて橋を架(か)けたのです。
○ 江戸のファーストフード
江戸の文化が作り出した代表的な食べ物には「にぎり寿司(すし)」があります。江戸っ子の気の短さや、芝居(しばい)の合間に手っとり早く食べられるということで生み出されたメニューです。つまり、今でいうファーストフードの元祖(がんそ)といえるでしょう。また、現代では高級なイメージのある天ぷら屋さんも庶民(しょみん)の手軽な食事として屋台で売られていました。
こうした江戸の食文化は、江戸前(えどまえ)とよばれます。もともと江戸前とは江戸城(えどじょう)前で捕(と)れた鰻(うなぎ)のことを指していましたが、後に東京湾(とうきょうわん)で捕れた魚や貝で調理することを江戸前というようになりました。また、当時の大阪・京都(おおさか・きょうと)地方の名称(めいしょう)である上方(かみがた)に対し、江戸の流儀(りゅうぎ)ややり方を示したものだとも言われています。ちなみに、江戸前寿司(えどまえずし)ができるまでは、寿司(すし)といえば上方寿司の「押し寿司」・「なれ寿司」が主流でした。
蕎麦屋(そばや)ができたのは江戸時代中期ごろ。安くて手軽に食べられると、特に江戸っ子には人気の食べ物でした。そのメニューは、そば、天ぷらそば、あられそば、玉子とじそば、鴨南蛮(かもなんばん)そばなど、今と変わりませんね。また夜になると、町には「夜そば」を売る屋台が多く並(なら)んだそうです。
ちなみに「年越(としこ)しそば」も江戸時代から定着した食習慣(しょくしゅうかん)で、いまも年末の風物詩(ふうぶつし)になっています。
コンピュータゲームなどのない江戸時代の子どもたちはどんな遊びをしていたのかな?
○ 独楽(こま)
現在のような木製の独楽もありましたが、江戸の子どもたちは巻貝(まきがい)をそのまま回しっこをしていたことが伝えられており、これが明治時代になってベーゴマになりました。
○ 面子(めんこ)
江戸時代のめんこは、泥(どろ)めんこといって人の顔が彫(ほ)られた粘土(ねんど)を焼いて作られたものでした。今の紙製のめんこになったのは明治時代末になります。江戸時代の遊び方はめんこをひっくり返すのではなく、ビー玉やおはじきのようにめんこ同士をぶつけていたといわれています。ちなみに地域(ちいき)によって「めんこ」のよび方はいろいろで、関西弁では「べったん」。名古屋弁では「シューヤ」。鹿児島(かごしま)弁では「カッタ」といいます。
○ おはじき
おはじきは、指先を上手に使っておはじきをはじき、相手のおはじきを自分のものにする遊びです。日本では当初、宮廷(きゅうてい)の大人の遊びでしたが、江戸時代になって女の子の遊びとして広まりました。また、ガラス製のおはじきになったのは明治時代末になります。
○ 凧(たこ)あげ
日本の凧(たこ)のルーツは中国で、正月の遊びとして庶民(しょみん)に広まるようになったのは江戸時代後期だといわれています。また、相手の凧にぶつけて落とす「喧嘩凧(けんかたこ)」とよばれる遊び方もあります。
○ はねつき
女の子の正月の遊びとしては、羽子板(はごいた)で羽を打ち合う「はねつき」がありました。羽を突(つ)き合うことで厄払(やくばらい)する意味があり、江戸時代には年末に羽子板をプレゼントする習慣(しゅうかん)がありました。
○ 歌舞伎(かぶき)
歌舞伎(かぶき)は、日本独特の演劇(えんげき)で、伝統芸能の1つです。歌舞伎の語源(ごげん)は、変わった衣装(いしょう)を身につけたり、おかしな行動をすることをカブキといい、それをする人をカブキ者(もの)と言ったところからきています。そんな歌舞伎は江戸の娯楽(ごらく)の中心で、そこから当時の流行語や新しいファッションがいくつも生まれました。だから、歌舞伎役者は今でいう有名スポーツ選手やアイドルのような人気ものだったのです。
歌舞伎から生まれた言葉もいろいろあります。たとえば「二枚目」。一座(いちざ)のトップが演じる役が「一枚目」、女性にもてる美男子の役どころを「二枚目」、オモシロおかしい役を演じる役者を「三枚目」としていたことが元になっています。その他にも黒子(くろこ)、十八番(おはこ)、幕引き(まくひき)、大詰め(おおづめ)などの言葉が今に残っていますね。
○ 落語(らくご)
もうひとつ庶民(しょみん)の娯楽といえるのが落語でした。当時の庶民の多くは長屋(ながや)という、今でいうアパートに住んでいましたが、落語の登場人物の中心は、そんな長屋に住む「熊さん、はっさん」。日々のくらしのできごとや人間関係などを、笑いや涙(なみだ)で語ったものでした。
○ 相撲(すもう)
江戸時代のプロ・スポーツといえば相撲(すもう)です。相撲の歴史は古代にさかのぼり、あの織田信長も大好きだったと文献(ぶんけん)にも残っているほどです。しかし、現代のような相撲になったのは江戸時代のはじめごろといわれています。その中で、もっとも強いとうたわれたのが雷電(らいでん)という力士(りきし)でした。彼は21年間の力士生活において優勝(ゆうしょう)28回、負けがわずかに10回、勝率は9割6分という圧倒的(あっとうてき)な強さをほこりました。